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池田 直 さま (昭和47年卒)

ー忘れ難い恩師の一言とゼミ時代ー
 「人生20数年を振り返って鮮烈に思い出すのは全国の大学紛争、取り分け我が立命館大学の大学紛争である・・・」
 これは、1971年4月名古屋での東海銀行入社試験での作文テーマ「これまでの人生を回顧し一番印象に残ることについて主観を交え書きなさい」に対する私の書き出しでした(この頃の入社試験は現在と違い規制が何も無く、特に都市銀行は早く4回生になる前に行われていました)。
 私が立命館大学に入学した68年頃は、全国で70年安保反対闘争や大学紛争が華やかりし頃でありました。特に、京都では町全体が掻然としていました。大学では立て看板やアジ演説、セクト間の争い(内ゲバ)、また河原町通りや今出川通りなどは労働者や学生のデモで〝革命前夜″と錯覚するような状況のときもありました。当時は立命館大学の友人ばかりでなく出身地佐賀の高校時代の同級生、友人が全国の大学に散らばっていまして夏休み等で帰省の際は、各大学紛争や安保問題等議論したものです。特に京都では京都大の活動家の同級生とも良く議論しました。各派のいろいろな連中と議論していましたので、知識は豊富となりましたが、どうしても暴力的な行動には付いていけませんでした。
(先ほどの入社試験の作文は続く)。
 「70年安保改定を前にしたある時、活動家(所謂三派系)の京都大の同級生から議論の挙句に「批判ばかりしている貴様より、俺は行動しているんだ!」と言われ〝行動力″に悩み、恩師に相談することにしました。
 私は70年度「ドイツ経済史」の川本和良先生のゼミナールを選択しました。相談のため恩師宅を訪問した際、ゼミ論文の件が一通り終わったところで〝行動力″について尋ねたところ、「池田君、ゲバ棒振ってデモるばかりが行動力ではないですよ。学問も行動力の一つであり、最も闘争的な行動力ですよ」と仰ったこの一言で、目から鱗が落ちたような気持になり、その後の私の精神的な支えとなったのでした。
 70年6月23日の日米安保条約改定日は、マスコミ報道等に迎合することなく、ゼミテキストを読破していました」。以上が入社試験作文の概要です。
 東海銀行入行後同期の仲間と話した際、皆が入社試験の面接で大学紛争について質問を受けたそうですが私は全く受けず、「どういう勉強をしたかね?」と質問を受けましたので、3回生で『ドイツ関税同盟(Zollverein)』(英語)を先生より勧められ完訳していましたので、「EEC(ECはまだありません)成功の先例は、現在のドイツで19世紀にプロシャにおける関税同盟の成功がありまして・・・」と説明した記憶があります。
 いま手元に、立命館大学経済学会学生委員会『學生論集』(第十九集、昭和四十七年三月)があります。三つのゼミ論文の一つに私の卒論が掲載され巻末の恩師の書評に「書き方に幼稚な点が残っているとはいえ、註もつき、一応論文としての形に近づいており、よく勉強したあとがうかがえる」と書かれています。 
 卒論作成に当たっては、恩師から参考文献や文章作成等指導を受けました。初めて経験した所要量の文章と「論文」作成の苦労と達成感は銀行員生活でも生かされ、業務上の申請書や規定・手続、マニュアル等の作成ばかりでなく業界誌への掲載等文章作成は苦になりませんでした。
 2005年5月、銀行を定年退職して母親の面倒をみるため郷里、佐賀にUターンしました。現在は自治会活動等ボランティアの社会還元的行き方中心のセカンドライフを送っていますが、学生時代の〝行動力″への恩師の一言を今でも鮮明に覚えており、活動の原点となっています。
 私の信条はプログレッシブ、進取の気性にあります。我が母校、立命館大学も末川 博総長以来の伝統と思っています。そして、私が東海銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)入行当時のキャッチフレーズも「若さとバイタリティ」でした。我々が入学時の小集団教育(小集団ゼミ)は逸早く取入れられた優れた教育システムで、今でもその時の友人数名と付き合いが続いています。また、川本ゼミの仲間とは、72年3月伊豆への卒業旅行以来、13年5月の奈良での第六回目のゼミ旅行と川本先生始め12名の仲間と親睦を深めています。 
 それから、東海銀行では私が入行するまで暫く採用が途絶えていましたが、その後毎年複数名の後輩が入行するようになり、何度かOB懇親会も行いました。また現役の頃、人事部の方から「優秀な学生が毎年採れています」と聞いて大学、銀行双方に少しは協力できたかなと思っています。