2018年05月29日 思い出 井上 優治 さま (昭和46年卒) 地方出身の私は、以学館の近くに下宿している、香川県の高松から来ているA君と、友達になりました。A君はとても裕福な家庭で育ち、清潔で、さりげなく、身に着けているものは上品でセンスが良く、「これが苦労知らずのお坊ちゃまかぁ~」と羨ましく思っていました。彼と比較して、私の身なりはいつまでたっても野暮ったくて、彼と会う度に恥ずかしい思いをしていました。 以学館のピロティーの地下には、VANのジャケットやパンツ等が販売され、田舎者が変身するには十分でした。その以学館の前にはプレハブが建っていました。建物は衣笠学舎の各学部の事務室だった様に記憶しています。事務室内にあるコピー機を、楽々と操作している学部生に「すごいなぁ~」と感心しながら見ていました。 事務室の裏には高台があり、運動場として使われていました。一般教養の体育の授業で、バスケットをした記憶があります。「施設はこれからやなぁ~」と思いました。道を挟んだ左側には、重厚で立派な新しい図書館が建っていました。その奥は理工学部の教室が入る建物が建っていました。図書館沿いの先には、生協の書籍部があったように記憶しています。 しかし、この風景こそが、輝かしい立命館大学の発展を確信する象徴的な風景だったと言えるのです。私はもともと進学志望ではなく、父の関係で旅行代理店に就職する事になっていました。高校2年の3学期に、ある理由で急遽進学に進路を変更する事になりました。そんな経緯もあり、周りは、楽々と入学してきた優秀な人達ばかりの様に思え、皆と同じ事をしていては卒業出来ないかもしれないと真剣に思いました。図書館に通う日々がスタートしたのです。館内は多数の学生で、いつも満席に近い状態でした。当時から立命大生は、ライバル校より入学してからも、良く勉強するとの評判でした。その通りでした。京都駅前から市電に乗り、衣笠校前で降りると辺りは、まだ畑がありました。夏になると茄子や胡瓜が生っていました。スイカは畝に敷かれた藁の上に、ごろん、ごろんと生っていました。 校舎まで続く一本道は、私にとっては栄光の一本道でした。市電の中では、座っている学生は勿論ですが、つり革にぶら下がりながら、片方の手で本を読んでいる立命大生の姿を私は誇らしく、眩しく見ていました。卒業した私の高校では、タバコを吸う生徒がいて、その光景を見るのが、嫌で嫌でたまりませんでしたから。 高校まで余り本を読まなかった私は、片っ端から手当たり次第読んでいきました。しかし、20数冊の文庫本になっていたロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」は、作品の内容より、その全部を読み切る事に、ドストエフスキーの「罪と罰」では、主人公の「ラスコーリニコフ」の名前が覚えられなくて、何度も何度も声を出して覚える事に懸命でした。本当に幼稚な読書スタイルでしたが、私は真剣でした。 衣笠学舎から広小路学舎までは、スクールバス(シャトルバス)が運行していました。バスの中では、理工学部の方も乗っていて、「アルバイトはしたいけど、実験が大変やからなぁ~。またええとこあったら頼むわ」という会話が耳に入り、文系の授業との温度差に妙に愕然としていました。広小路学舎では、頻繁に土曜講座が開催されていました。私も末川総長の土曜講座を聞きたくてシャトルバスをよく利用していました。小教室での土曜講座ですので、後方でも良かったのですが、最前列の机に座りました。色白で、白髪で、小柄で、優しい眼差しの末川先生が、講義の途中で私の方を向かれ「あなた解かりましたか?」と、問われた時はショックでした。もちろん解かりませんでしたが、頷かざるをえませんでした。その講義中、私は一度も顔を上げる事なく、ずっと耳を真っ赤にして下を向いていました。 学生運動が激しくなり、広小路学舎のわだつみの像が破壊され、教室がアジトとなり、物々しい国家権力の介入やセクトの間の対立で、火炎瓶やゲバ棒や投石が飛び交っていました。学園紛争の真っただ中の1969年に、自らの命を絶った学友・高野悦子の「二十歳の原点」は、二十歳の孤独と未熟さ、焦りと不安が、生生しく書かれています。当時は、こんな可愛い人も絶望感や虚無感に苛まれて、出口が見つからなかったんやなぁ~と、考え込みました。私は自分の軽薄な思考回路に、まったく気が付く事はありませんでした。今、当時を振り返った時、学生や教員や市民を、そして世の中を扇動した彼等は、どの様にその後の人生を過ごされておられるのでしょうか。お聞きしたいものです。 最後に、昨今の立命館の発展ぶりは、目を見張るようで、卒業生としては頼もしく、逞しく、眩しい位です。特に最近は、お勉強が出来て、可愛くて、上品な立命館小学生に、JRの電車の中で、よく見かけます。その時はいつも「これからの立命館を頼みますね」と心の中で呟きながら、感付かれないように目頭を熱くして、見守っています。