中市 吉信 さま (昭和51年卒)
(後列右端から2人目が中市氏)
「学生時代の思い出」―万巻の書を読み、万里の道を行く―
1974年8月23日、3回生の夏休み。
この日私は、衣笠キャンパスの自習室で『資本論』と『金融資本論』を同時に読破した。
自習室は以学館の一階、奥まった所にあった。部屋にいたのは、私ともう一人だけだった。
むせ返る京都の夏。
部屋にクーラーなどない時代だ。自習室は、少しでも風の通りを求め、窓もドアも開け放ってあった。
じわりと噴き出る汗。首にタオルを巻き、汗を拭き拭き本を読んでいた。
この日は、下宿に帰り一人、ビールで乾杯した。
『資本論』は、2回生の春から読み始めた。「マルクス経済学の立命経済学部に入ったんやから、せめて『資本論』ぐらい読んどこか」、と最初は同じクラスの浜幸雄君と二人で輪読から始めた。
いつしか一人で読むようになり、ノートをとりつつ、『資本論』全3巻を一年半かけ、この日やっと読み終えたのだ。
『金融資本論』はヒルファーディングの著作で、3回生から読み始めた。島津秀典ゼミのテキストだった。これもノートを取りながら読み進めた。
『金融資本論』の中に、『資本論』から引用した一節を発見したときには、「ああ、ヒルファーディングも『資本論』を勉強したんだ」と言い知れぬ感銘を覚えた。
体育会の少林寺拳法部に入っていたので、シーズンオフとなる長期休みに、集中して本を読んだ。その時に利用したのが、自習室だった。広小路と衣笠の自習室を使った。
広小路は、司法試験を目指す人でいつもいっぱいだった。早く行かないと座る席が取れなかった。一方、衣笠はいつもがらーんとしていた。
一人になりたいときは、衣笠の自習室に行った。その部屋には黒板があり、誰かがチョークで大書きしてあった。
「万巻の書を読み、万里の道を行く」
強い衝撃を受けた。
それを契機に精根を入れて本読み始めた。ジャンルを問わず、手あたり次第に本を読み出した。
大学入学後、日記をつけ始めた。そこに読破した書名と作者を書き留めた。同じ本を2回読んでも、2冊とカウントした。結果、大学4年間で226冊を読破した。
大学卒業後もせっせと本を読んだ。
働きながらの読書は、時間の確保とモチベーションの維持が難しい。興味と必要に応じてジャンルを5つに分け、それぞれで関心を引いた本を選び、ゴリゴリと読み込んだ。まとまった休みが取れた時など、ビジネスホテルに連泊して読書に集中した。
今、67歳。立命館大学に入学し、今日までで、2610冊を読み終えた。万巻までには、まだまだほど遠いが、読書は楽しい。面白い本がいっぱいある。本を読むことは、私の生活になくてはならないものとなっている。これからも自分のペースで読み続けて行きたい。
この一文を書くにあたり、「万巻の書を読み、万里の道を行く」は、文人画家で儒教学者・富岡鉄斎の座右の銘と知る。私塾立命館で教えていたことも知った。縁を感じる。
今でも目を閉じると以学館の自習室が蘇る。
噴き出る汗、がらーんとした部屋、そして黒板のあの大書き。
開け放った窓からは、蝉の鳴き声に混ざって、「タケや~、竿竹」と呼びかける竿竹売りの声や豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。
(前列左端が中市氏)