2020年05月19日 思い出 中市 吉信 さま (昭和51年卒) (後列右端から2人目が中市氏) 「学生時代の思い出」―万巻の書を読み、万里の道を行く― 1974年8月23日、3回生の夏休み。 この日私は、衣笠キャンパスの自習室で『資本論』と『金融資本論』を同時に読破した。 自習室は以学館の一階、奥まった所にあった。部屋にいたのは、私ともう一人だけだった。 むせ返る京都の夏。 部屋にクーラーなどない時代だ。自習室は、少しでも風の通りを求め、窓もドアも開け放ってあった。 じわりと噴き出る汗。首にタオルを巻き、汗を拭き拭き本を読んでいた。 この日は、下宿に帰り一人、ビールで乾杯した。 『資本論』は、2回生の春から読み始めた。「マルクス経済学の立命経済学部に入ったんやから、せめて『資本論』ぐらい読んどこか」、と最初は同じクラスの浜幸雄君と二人で輪読から始めた。 いつしか一人で読むようになり、ノートをとりつつ、『資本論』全3巻を一年半かけ、この日やっと読み終えたのだ。 『金融資本論』はヒルファーディングの著作で、3回生から読み始めた。島津秀典ゼミのテキストだった。これもノートを取りながら読み進めた。 『金融資本論』の中に、『資本論』から引用した一節を発見したときには、「ああ、ヒルファーディングも『資本論』を勉強したんだ」と言い知れぬ感銘を覚えた。 体育会の少林寺拳法部に入っていたので、シーズンオフとなる長期休みに、集中して本を読んだ。その時に利用したのが、自習室だった。広小路と衣笠の自習室を使った。 広小路は、司法試験を目指す人でいつもいっぱいだった。早く行かないと座る席が取れなかった。一方、衣笠はいつもがらーんとしていた。 一人になりたいときは、衣笠の自習室に行った。その部屋には黒板があり、誰かがチョークで大書きしてあった。 「万巻の書を読み、万里の道を行く」 強い衝撃を受けた。 それを契機に精根を入れて本読み始めた。ジャンルを問わず、手あたり次第に本を読み出した。 大学入学後、日記をつけ始めた。そこに読破した書名と作者を書き留めた。同じ本を2回読んでも、2冊とカウントした。結果、大学4年間で226冊を読破した。 大学卒業後もせっせと本を読んだ。 働きながらの読書は、時間の確保とモチベーションの維持が難しい。興味と必要に応じてジャンルを5つに分け、それぞれで関心を引いた本を選び、ゴリゴリと読み込んだ。まとまった休みが取れた時など、ビジネスホテルに連泊して読書に集中した。 今、67歳。立命館大学に入学し、今日までで、2610冊を読み終えた。万巻までには、まだまだほど遠いが、読書は楽しい。面白い本がいっぱいある。本を読むことは、私の生活になくてはならないものとなっている。これからも自分のペースで読み続けて行きたい。 この一文を書くにあたり、「万巻の書を読み、万里の道を行く」は、文人画家で儒教学者・富岡鉄斎の座右の銘と知る。私塾立命館で教えていたことも知った。縁を感じる。 今でも目を閉じると以学館の自習室が蘇る。 噴き出る汗、がらーんとした部屋、そして黒板のあの大書き。 開け放った窓からは、蝉の鳴き声に混ざって、「タケや~、竿竹」と呼びかける竿竹売りの声や豆腐屋のラッパの音が聞こえてくる。 (前列左端が中市氏)