2021年04月13日 思い出 名越 文代 さま (平成12年卒) 1997年春、定年退職を期に、渡りに舟と、社会人学生として、経済学部に入学し、衣笠学舎に1年間通った。社会人同期生のA 氏が所々で戸惑っている私に話した。「主婦だから経済(学)を家計に置き変えて考えると、いいよ」さすが元企業戦士、こちら側も、しっかり観察されているが、助言する箇所も的を射ている。言い訳がましいが、今まで勤めてきた所とは、経済は分野が違う。若い時より順応性も劣っている。どうしたものか。更にA 氏は言葉を重ねた。「例えば、板書に国家予算と、書かれたら、家計に置き替えてみるといいよ」 なるほど、その場は納得する。言葉の意味合いは解るが、今ひとつ、ピンと来ないのが難儀なところである。 後期セメスターも始まって、社会人学生が数人で、寛いでいる時、上記のA 氏が言った。「前期は黙って、人の話しを聞いてばかりだったが、自分の意見を言うようになリ、明るくなったね」と、「今までは、要らぬ事は口出しはしない」が、永年の習性になり、気付く事なく過ごして来た。「知らぬは、自分ばかりなり」である。遅まきながら、改めよう。 翌年春、経済学部はびわこ・くさつキャンパスに移転した。建物もまばらで、植樹された木々も弱々しい。そんな中でも、学生だけは活気がある。1994年から先住の理工学部の男子学生は掲示板の回りで、肌寒の中、何やら賑やかに談笑中?メイン通りの真ん中で、鎮座する噴水も、柔らか目のしぶきをあげる。「初めまして、宜しくネ」と、小さく言ってみる。 1999年夏季ゼミで、当時ベストセラー(本)と紹介された、「過疎で高齢化」が進んでいる山口県周防大島町を訪れた。投宿の道端に立ち、ぐるりと、一周すると、空き家ばかりだった。交流中、高齢者は我々にも、自然体で暖かく関わってくださった。高齢者のリーダに依頼して、仲間の皆さんに、一週間、歩行計を携帯してもらった。元気の秘密は「①殆ど毎日、山のみかん畑へ、でかけること②毎日友達と話すこと③同級生がいること」と、語ってくださった。 2000年夏季、ノルウェーゼミ(京都・女性自主研修会)の欧州(デンマーク・ノルウェー)研修旅行に同行した。最初に訪問したデンマーク・ミュン市の市役所で、高齢者福祉の聴き取りをした。「市予算の60%が福祉」に、当てられている手厚さに驚いた。在宅看護師が介護度の判定に当たるのも、理に適っている。「当事者第一主義」は、もとより、はまってしまったのが「高齢者委員会」。日本で、研究された文献も、何回か目にしたことがあるが、実際に実施されている例はない。発足しかけても、行政との発展的関わりは難しい。デンマークの「高齢者委員会」のきっかけは、高齢者自身が、高齢者福祉政策に、不満を抱き、自治体に働きかけたものである。60代、70代の高齢者は、福祉に対して、はっきりした考え方を持ち、積極的に行動する。1995年10月、社会大臣が「高齢者委員会」を、全国に設置する法案を国会に提出した。参考としたいところは、市レベルで、自主的な試みが先行して、国が後から制度化しているところである。法律化前から、2/3の自治体で行政と高齢者団体の同意で任意に設置されていた。では、現在のデンマークの高齢者福祉はどうか?在宅介護に没頭していた内に、遠のいてしまったが、手近なスマホでは、少子高齢化で介護ロボットの実用化が進み、財政健全化の為、工夫が重ねられていると。2000年2月、公的介護保険が開始される直前の多忙な時期に、草津市役所、介護保険担当課で、研修をさせて頂いた。デスクワークが主だったが、貴重な体験ができ、感謝している。 今となっては、昔話しになるが、入居した居住地は、京阪神方面に勤務する人が多かった。バブル期には夜9時頃になると、タクシーが、吸いこまれるように流入していた。あれから30年、居住地も、高齢化で新旧交替の時である。車を手放して3年、ナップサックを背負い、ノルデックウオークで、買い物帰り「まけるな」「もう少しだ」と、坂道を歩く。 2020年明けから、コロナの流行が収まらず、2年目の春を迎えた。桜爛漫のよき季節に、コロナ自粛で、かつて経験しなかった、長く辛い試練が強いられている。