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思い出

名越 文代 さま (平成12年卒)

学生時代の思い出。ニュージーランド短期ホームスティ

午前中は英語を学び、午後は学んだことを的にして体験学習をする。社会人学生時代に1度は体験してみたかった語学留学である。目下ニュージーランドの北島観光港町のフィティアンガーで、体験学習中である。国際線の飛行機が発着のオークランドから車で4時間足らず、海辺の風光明媚な街で、二週間の住人となる。

ステイ先は日本人の私で、二回目の受け入れだそうだ。わたくしたちは分校(季節により開講)で学ぶ。本校の語学校は一キロ東にあり、日本、スイス、韓国などの学生が学んでいる。突然、外国のプライベートゾーンに入り込み、身の置きどころに困るのではないか?少し心配もしたが、郷に入れば郷に従えの諺通り。ステイ先のベティ(主婦で私と同じ年)とご主人のジムは居心地の良いように配慮してくれた。ジムは電気技師の仕事を既にリタイヤし、広い庭を二人で花や野菜をミミズで作ったたい肥で栽培している。夕食は大抵、庭のテーブルでする。前庭、横庭、別邸の庭と、その日の気分で自在にセッティングされた。ジムが丹精込めたダリア、あじさい、百日草等が、テーブルのすぐ側にある。テーブルや椅子の上に、まだ強さを抱えた残暑がよぎる。

朝からの疲れをこの辺で、取りたい私とは対照的に、ベティもママも、好んで残暑の中に身をおく。「フミはシャドウ」と、2日目から、夕食の合言葉になった。ジムにミミズの栽培について訊ねてみた。「そこの木の蓋を開けてごらん」と、ジムは言う。私は腰ぐらいの高さで土が入った1m四方の木枠の中を覗くが、ミミズは見えない。ジムが棒切れで土を分けると、栄養豊かなミミズが、2,3匹出てきた。今まで勝手に想像していた、沢山のミミズが絡み合っているグロテスクな様とは全然違っていたので、ホッとした。ミミズの威力は相当なもので、野菜くずを入れると、明朝には綺麗に土に帰っていた。毎朝食卓のカゴに盛られたプチトマトは、黄色い皮が口の中で弾けて甘かった。これもミミズが育ててくれたものである。朝、窓を開けると、庭の隅っこから飛び出したものがあった。よく見ると、小さな、茶毛の野兎である。「まあ可愛い」私が喜んでいると、ベティの「シィッ」と、鋭い声がした。なんでも兎は、折角伸びてきたレタスの新芽を食べてしまうらしい。

本日日曜日の予定は、ベティとピーチを散歩。フェリーに乗って、対岸の丘にのぼり、展望を楽しむという計画だった。出発直前にベティの友達のカメリアロッジのマダムから電話があり、急遽ベティは手伝いに行くことになった。なんでもカメリアロッジのご主人が、急遽宿泊客の要望で、ゴルフ場に行くことになったので、ベティに手伝って欲しいと。受話器を置きながら、ベティは早口で要件を伝えようとするが、私には伝わらず、もどかしそうに側の紙切れにペンを走らせた。「べティとフミは、11時から2時まで散歩をするはずだった。フミは、ベティと一緒にカメリアロッジに行き、大きな木の下で本を読むOK?」「私は2時まで働くので、3時にビーチに行こう」「これなら、よう分かるわ」思わず関西弁が出てしまう。「アイ・スイ」ベティーもいつもの軟らかな表情に戻った。次の瞬間、テーブルから無造作に英文の雑誌を持ち上げると、私の前に差し出した。「私、これ持ってるから」。文庫本を見せると、ベティは、安心して、「オーケー」と言い、車のキーを持った右手を耳のあたりで揺らせ、おどけてみせた。

俄雨後の広い庭は芝生の緑がさえ、レース模様の木陰を配して、梢の風が揺れる。ベティは、早速、雨で濡れてしまった白いテーブルや、緑色のプラスチックの椅子を拭いて回る。しばらくベランダでベティーのすることを見ていたが、私にもできそうなので、雑巾を借りて真似てみる。大気の中で癒されながら働いている。そんな感覚に捕らわれながら見るベティのサロン姿が、まぶしいほどカラフルである。ベティは日光が大好きで肌が日に焼けることなど気にしない。むしろ積極的に日焼けすることに挑戦している。胸のあたりまで真っ黒に日焼けし、筋肉質。夏の間に充分に日光に当たり、体の隅々まで太陽を吸い込んでおきたいように見える。

客も一段落した所で、マダムが私の側にきて言った。「日本の観客は、この地をバスで素通りしてしまう。もっと、ゆっくり滞在して、フイティアンガの良いところを見て欲しい」。

争うように咲くダリア、コスモス、菊、アジサイ、ベコニア、菫等、春夏秋の花が一度に咲く不思議さ。足元の花々を奇異な感覚で愛でていたが、華やいだ花たちは、私の気持ちまでも高揚させる。小柄なマダムは、緑色の椅子に深く腰掛けて、ゆったりと手を伸ばす。旧知の人と話してるような錯覚を起こしそうである。

マダムは私を伴って、庭を一緒に歩く。タロイモの細かい葉の緑が一際艶やかなこと。大理石の泊り台で遊ぶ白い鳩の親子の暮らしぶり。池の住人カエルのことなどを、ユーモアを交えて語り、正面の通路へと案内した。両脇に迫って来そうな背高の椿並木があり、その奥の大理石の大鳥居のゲイト(高さ10m)の中央に吊るしたチョコレート色のプレートには「カメリヤ(椿)・ロッジ」と、記されていた。日本の神社を思わせる鳥居、椿がある佇まいは、以前の持ち主が日本好きであったからと。

庭の右手に唐草無料の鉄柵に囲まれた長方形のプールが有った。プールサイドの椅子に座り、読書中の婦人がいた。その婦人はブルーのTシャツに短パン姿で、足元には書類が積まれていた。最初から泳ぐつもりなど無いようである。マダムが背後から声をかけた。婦人はニューヨークから、こちらに来て3日目で、明日は飛行機でアメリカに帰ると言う。職業はコンピューター技師。たくさんの書類は、仕事のためだと話した。欧米の旅行者は、ホテルでゆっくりと朝食を取り、その後、コーヒーを飲みながら、一人静かに読書をしたり、友達や家族とおしゃべりしながら、ゆったりとホテルライフを楽しむというスタイルが一般的らしい。

木曜日の学校帰りにベティーは言った。今度の土曜日に友達を呼んでランチパーティーをしよう。「フミは巻き寿司を作ってね」。いつも昼食をする街の中心部にあるレストランが、先日、巻き寿司を作ってくれた。そんな話をベティにしたら、大変興味深そうに聞いていた。早速、スーパーにより米を買い、ついでに安い赤肉メロンも買った。

土曜日、朝早から巻き寿司を作ろうと張り切った。だが、タイ米は粘りがなく。鍋で炊いたご飯は固かった。とても巻きずしには向かない。急遽、予定を変更しておにぎりを作った。日頃は当たり前のように使っている炊飯器のありがたみをこの時ほど思い知らされたことはない。おにぎりはどうにか作れた。ついでに、きゅうりの酢の物も作った。こちらでは、海苔を食べる習慣が無いことをランチ時、初めて知った。当のベティでさえ、おにぎりに巻いた浅草ノリをフォークではがして食べている。予想に反して、きゅうりの酢の物は好評で、酢と砂糖の微妙な加減が気に入って貰えたらしい。作り方の説明を求められると、朝から私に付ききりだった、ベティは「任しとき」と、得意げであった。考えてみれば私の体験のためにと、計画した土曜日の「ジャパニーズランチタイム」に、招待したテニス仲間の二組のご夫婦にしても、一見派手に見えるベティの選んだ友達にしては、穏やかな人ばかりである。ご主人のジムは糖尿病で日本から持参したお酒が飲めない。ジョンはグラスを目線まで上げ、口元で確かめると、「delicious rise wine」。お酒好きは万国共通であるらしい。ベティはこれがフミ式だと「日本酒のオレンジジュース割り」を披露した。

ランチの後、ゆっくりと大人の会話を楽しむ。アフタヌーンティーは、私の生活習慣にはない。徐々に真似てみる価値がありそうだ。金曜日まで、滞在したロンドンのママ、ベティとママは双方留まることを知らないお喋りである。「ベティとママが話し出すと止まらない」と、ジョンに話すと、いかにもそうだろうと、うなずいた。ホームステイも、3日目にもなると、「ドーユーノー」から始まる、ママの単語の一つ一つが聞き取れるから不思議。もちろん、直訳などできないが。

今朝もベティと、学校まで歩く。昨日の心地良い。そよ風と違って、西からの向かい風が強いこと、ベティが喋っていることも千切れ飛んでしまう。聞き返すべティの耳元で大声を出す。「ベティの友達はみんな穏やかな人ばかりね」。「フミはカメリアロッジでそう思ったの?」「そう、土曜の、アフタヌーンティーでもね」。ベティは、満足そうに微笑み、もっとしっかり歩けとばかりに歩幅を広げる。白髪交じりの金髪をなびかせ、日本に帰っても歩けと言う。私は悲鳴を上げながら彼女と肩を並べる。大柳の並木を縫って風が鳴る。道端の、小さな花も緑のうねりの表で千切れんばかり細い茎がしなり頑張っている。

「『月刊随筆』(2000年7月号)の日本随筆家協会記載分より、引用・加筆しました。